日本統治時代に『東洋一のダム』と呼ばれた『烏山頭ダム』は、台南南部の官田にあり、台鉄で台南隆田駅からタクシーで 15分ほどで行ける自然観光スポットです。
烏山頭ダムは、日本石川県の金沢市出身、東京帝大で卒業した『八田与一』という技師によって設計され、当時最新の技術で10年をかけて完成した。
なぜ、烏山頭ダムが建てられたのでしょうか。その理由は、昔、台湾南部にある嘉南平原の土地は、海に近くて塩分が含まれていて農作に不利な上に、雨があんまり降らなかった。そんな厳しい自然環境で農作物を安定的に収穫することがとても困難でした。
その時、八田与一技師が烏山頭ダムより水を引き入れ、嘉義と台南が繋がる『嘉南大圳(チャーナンダァジョン)』と呼ばれる灌漑の川を利用できるようにしたので、嘉南平原は完璧な農業地域へ一変した。ですから、八田与一技師は『嘉南大圳(チャーナンダァジョン)の父』と言われています。
実は、日本統治時代に台湾総督府の技師としての八田与一氏は、烏山頭ダムと嘉南大圳を建設しただけでなく、日月潭発電所、桃園大圳など重大な建設にも貢献した。残念ながら、第二次世界大戦中に乗った船が米軍によって爆撃され、亡くなった。享年56歳でした。
現在、烏山頭ダムの湖畔に八田与一技師の銅像があります。八田与一技師の命日にあたる5月8日には銅像の前で慰霊祭りが行われます。コロナの前には、わざわざ花を供えにきた日本旅行者も多かったそうです。
八田交番所の前に、『八田与一記念園区』が設けられています。園区には、八田与一技師と係員らが烏山頭ダムを建設した時住んでいた寮として再現され、八田与一に関する重要な資料が展示されています。
そのほか、ここで日本の旧総理大臣の森喜朗氏が311東北大地震で台湾から多くの寄付金をもらったことに感謝を表すため、日台友好関係を象徴する『絆の桜』と書き入れた大きな石も一見の価値があります。
台湾と日本の歴史に深く触れられる八田与一記念園区と烏山頭ダムは、台湾の台南に来たら、ぜひ訪れてみて下さい。
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